
白ワインの名門として、ブルゴーニュのみならず世界最高峰の評価を受けるドメーヌ・ルフレーヴ。「自然の力に謙虚であれ」という言葉には、テロワールへの深い敬意が込められています。当主が来日してのセミナーが開催されたので、その内容をレポートにまとめました。「日本人の価値観に似ている」という、ルフレーヴが大切にする哲学とワインについてご紹介します。
ルフレーヴが尊重する「テロワール」とは
グラン・ヴァン、偉大なワインをつくるのに最も大切なものは3つ。場所、テロワール、ヴィニュロンだ。
ルフレーヴの現当主、ブリス・ド・ラ・モランディエール氏はそう語ります。

FRANCE, Domaine Leflaive. Brice de La Morandière
「テロワール」という言葉は専門家の間でも解釈が異なります。モランディエール氏がその言葉で表現したいことを、ここに詳らかにします。
ルフレーヴが考える「テロワール」とは
「テロワール」という言葉を日本語にするなら、「風土や土地の個性」と訳されます。その畑の土壌や表土の厚さ、傾斜、日光や風の当たり方などを総合してテロワールと表現します。
そのテロワールがワインの風味に方向性を与えている、テロワールがあるからこそワインが唯一無二のものとなると考えるのが、彼らの考え方です。

ムルソーの畑
生産者Instagramより
その根拠となるのがワインの違いです。
ルフレーヴでは全てのワインを、ピュリニー・モンラッシェ村にある醸造所でワインにしています。マコン地区の比較的リーズナブルなワインから、幻の「モンラッシェ」まで。同じ哲学のもと同じテンションで同じようなつくり方で醸造しています。
それでもワインの風味には大きな違いが現れる。これが「テロワール」だと考えているのです。
※ワインのグレードによって樽熟成に使う新樽の比率など細かいところは違います。
「テロワール」は幻想か現実か?
「テロワール」という言葉は生産者や販売者が宣伝文句としてつかっているだけ。そんな微小な土地の差が風味の方向性を決定づけたりしない。
そう考える人もいます。「テロワールなんて幻想だ」という主張です。
ある人が挙げるのは、ワインの風味を決定づけるのは栽培・醸造技術であり、ブレンドの内容など。土地による差がないとは言わないが誤差の範囲だという主張です。
ブルゴーニュの生産者自身から幻想論が挙がることもあるそうです。同じ畑であっても生産者が違えばワインの出来栄えは大きく異なる事実が論拠です。
確かに「テロワール」という言葉は、なんとなく高級感と特別感を伝えやすい便利な言葉です。しかしルフレーヴはそうは考えない、決して幻想ではなく「テロワール」はあると考えるようです。
ワインづくりは音楽に似ている
まずワインをつくる畑の場所があって、畑の特徴であるテロワールがある。そしてそのヴィンテージの特徴がある。
それをもとにしたワインの表現には、人の手が加わる。それがルフレーヴの考え方です。

たとえば音楽。たとえ同じ楽曲を演奏したとしても、音楽家・演奏者によってその解釈は違う。それぞれのセンシビリティを加えるのだから、その演奏は異なり優劣も生まれる。その姿に似ていると彼は語ります。
優秀なワインは優秀な畑から
ブドウの栽培に向いた畑は、他の作物を育てても上手くいくとは限りません。むしろ一般的には「不毛」と評されるような厳しい環境が、素晴らしいブドウを生むことも多いと言います。
ルフレーヴの哲学は、「偉大な自然に対して謙虚な姿勢でいること」
畑で仕事をするということは、自然の力を感じてそれに対して謙虚であることが大事だと語ります。そしてその考え方は、日本人に通ずるものがあるだろう。むしろ日本人こそ当てはまるかもしれないと語ります。

生産者Instagramより
ブルゴーニュも自然の災害が多い地域です。それについては日本は勝るとも劣らない。夏に何度も襲来する台風や頻発する地震。それは太古より現代にいたるまで自然の驚異であり続け、人の力の小ささを感じるものです。
ルフレーヴの歴史
ルフレーヴはドメーヌとしてスタートしてから4代目。特に先代のアンヌ・クロード・ルフレーヴ氏のときに世界でトップクラスの生産者にまで躍進しました。
ルフレーヴ家の創業と拡大の歩み
ルフレーヴの家系がピュリニー・モンラッシェの地に移り住んだのは、1717年のことだそうです。ただ、その当時からワインづくりを行っていたわけではありませんでした。
「ドメーヌ・ルフレーヴ」がスタートしたのは1910年ごろから。フランス海軍でエンジニアとして働いたジョセフ・ルフレーヴが故郷に帰り、家族の畑を世話し始めたのです。当時の畑はフィロキセラにより甚大な被害を受けていたそうです。第1次世界大戦の影響もあり、ルフレーヴのみならず、ブルゴーニュ全体が貧しい時代でした。

その中であるアメリカ人が「ルフレーヴのワインを買い付けたい」とやって来たことがあるそうです。それが転換期となり畑を取得して拡大路線に。ピュリニー・モンラッシェ各地に畑を所有する、現在の形を築いたそうです。
商業的な成功と品質に影
ジョセフ・ルフレーヴ亡き後、4人兄弟のうち特にヴァンサンとジョー・ルフレーヴが中心となり、ワイナリーの経営を安定させます。保険やエンジニアの経験を活かし、国際的な評価を得るまでになったといいます。
しかし世界情勢は厳しいもの。第2次世界大戦後の社会では、質より量が求められました。
その時代に登場したのが化学肥料。ルフレーヴでも安定した収量を得るために化学肥料を使うようになりました。
たくさんのワインが安定してつくれるようになった反面、出来上がるワインの質は低下していったといいます。
アンヌ・クロードによるビオディナミへの転換
品質低下が続く状況を打開すべく改革したのが、その次の代であるアンヌ・クロード・ルフレーヴ氏でした。
彼女は1980年代終わりから1990年代はじめにかけ、一部の畑でビオディナミによる栽培を導入。その成果を受けて1996年には全ての畑をビオディナミに転換しました。ロワール地方の名手「ニコラ・ジョリー」の影響を受けてだそうです。

ルフレーヴが白ワインの生産において世界トップクラスの評価を確たるものとしたのはこの時代。テロワールを表現する躍動感のあるワインに、人々は魅了されていったのです。
マコンに素晴らしいテロワールを見出し、生産を拡大していったのもこの時代です。
アンヌ・クロードの急逝とさらなる展開
そのアンヌ・クロード氏は、2015年に59歳の若さで急逝します。当時そんなに早く亡くなるとはだれも思っておらず、ドメーヌ継承の準備は全くできていなかったそうです。
引継ぎに関して、一族の間でも様々に意見が分かれました。それでもみなが一致していたのは、「ルフレーヴを家族経営のファミリーワイナリーとして存続させる」ということ。

FRANCE, Domaine Leflaive.
Brice de La Morandière
アンヌ・クロード氏の甥にあたたる、ブリス・ド・ラ・モランディエール氏を新しい当主として再スタートしたのでした。
オートクチュールなネゴシアン部門「エスプリ・ド・ルフレーヴ」を設立したのもこの時代です。
ドメーヌ・ルフレーヴのラインナップ
ドメーヌのあるピュリニー・モンラッシェ村、そしてそこから85kmほど離れたマコン地区。その自社畑からつくられるドメーヌ・ルフレーヴのブランドの中でCOCOSに取り扱いのあるものをご紹介します。
現在所有畑はピュリニー・モンラッシェ村に合計24ha、マコネに20haです。
マコンのワインは現地で搾汁し、ジュースの状態でピュリニーのカーヴに持ち込んで醸造するそうです。ブルゴーニュの規定により、それだけ離れていると同じ「Domaine Leflaive」の名称が使えません。ゆえにマコンのワインに関しては「Domaines Leflaive」ブランドとしてリリースしています。

モランディエール氏来日に際して開催されたセミナーにおける、筆者のテイスティングコメントもあわせて記載します。
グラン・クリュ(特級畑)のワイン
ルフレーヴは4つのグラン・クリュを手掛けます。
ただし「モンラッシェ」は比較的最近入手した畑で、面積が小さく生産量は極少。「つくられている」という話を聞くばかりで、実物はおろか輸入元の在庫表にすら見た記憶がありません。
その歴史の長さからも、「シュヴァリエ・モンラッシェ」がドメーヌを代表するワインとして扱われています。
プルミエ・クリュ(1級畑)のワイン
ルフレーヴは6つのプルミエ・クリュを所有します。
ピュリニー・モンラッシェからは、ピュセル、フォラティエール、コンベット、クラヴォワヨンの4つ。特にクラヴォワヨンは総面積5.0haのうち4.79haも所有する重要生産者です。
それからシャサーニュ・モンラッシェ村のマルトロワと、ムルソー村のスー・ル・ド・ダーヌもあります。スー・ル・ド・ダーヌはかつて赤ワインを植えていた区画で、後にシャルドネに改植されました。
1級ピュセル2022テイスティングコメント
まだ若いながらに他を寄せ付けないような雰囲気はなく、フレンドリーな味わい。しかしその奥には秘めたスケール感がありそう。
黄桃やアプリコット、生のアーモンドのようなアロマ。塩味系のミネラルはむしろ控えめで、酸味の角がない。スムースな質感に厚みがあり、果実の密度がうかがえる。
ピュリニー・モンラッシェ村名&広域
村名格のピュリニー・モンラッシェは6つの区画、広域クラスのブルゴーニュ・ブランは3つの区画からつくります。
これに関して「最近村名格・広域でも区画ごとにつくり分ける生産者も増えてきた。ルフレーヴではやらないのか?」という質問がありました。
モランディエール氏の答えは否。ブルゴーニュには4階層の区分けがあるのだから、それ以上に細かくする必要なない。特に村名格では、村内に点在した区画全てを一つのワインとしてつくることで、ピュリニー・モンラッシェという村全体の特徴を表現できると考えている。
そんな回答でした。
ブルゴーニュ・ブラン2022テイスティングコメント
白桃やリンゴ、ココナッツのようなアロマ。口に含めばまず塩味を想わせる硬質なミネラル感。アーモンドのような風味と適度な緊張感があり、広域クラスらしからぬ高級感を与えてくれる。
マコン地区のワイン
教科書的に言うなら、マコン地区はコート・ドールより少し温暖。地中海からローヌ地方を通って入ってくる暖かい風の影響を受け、よりふくよかな味わいのワインになると言われます。
しかしルフレーヴのワインに関しては、たとえ暖かい年であって上品な酸味の際立つスタイルです。
マコン地区に関してはこの「マコン・ヴェルゼ」を始め、いくつもの区画に分けてワインをつくります。ピュリニー・モンラッシェと扱いが違うのは、区画が互いに離れているから。明らかに性質の違う区画があるからだといいます。
この「マコン・ヴェルゼ」が、ルフレーヴのワインとして最も近づきやすい味と価格でしょう。
マコン ヴェルゼ2022テイスティングコメント
爽やかなレモンや赤リンゴ、アーモンド、クローヴのようなアロマ。スムースな果実味にピリッとしたタンニンが伴う。みずみずしい口当たりで余韻には塩味のようなタンニンが際立つ。
エスプリ・ルフレーヴのラインナップ
2018年にスタートしたルフレーヴのネゴシアン部門「エスプリ・ルフレーヴ」。
これについてモランディエール氏は「オートクチュールなネゴシアン」だと語ります。
「オートクチュール」を日本語訳するなら、「高級仕立服」。素材や仕上がりが上質なのはもちろんですが、顧客の要望に応じて職人がつくる1点ものだという点が重要。大量生産品とは違うというのを表したく、この言葉を使うのでしょう。
ブルゴーニュ全域で赤白を手掛ける
エスプリ・ルフレーヴのブランドでは、北はシャブリから南はマコネ地区のプイィ・フュイッセまで、ブルゴーニュ全域のワインをつくっています。
それらの畑に共通しているのはビオディナミによる栽培。契約農家は全てルフレーヴと同等の志をもって栽培に取り組んでいるおかげで、栽培に口を出すことは必要ないのだとか。ただし収穫のタイミングはルフレーヴの判断だといいます。
黄色を貴重としたドメーヌ・ルフレーヴに対し、エスプリ・ルフレーヴは銀をあしらったデザイン。細かく見ればデザイン面で7つの違いがあるそうですが、あなたは見つけられますか?
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エスプリ・ルフレーヴのラインナップ
エスプリ・ルフレーヴのラインナップにおいて充実度が高いのが、プイィ・フュイッセのワイン。モランディエール氏は「本当に素晴らしいテロワールだ。最近一部がプルミエ・クリュに認定されたが、全部がプルミエ・クリュであってもいいくらいだ」と語ります。
プイィ・フュイッセでプルミエ・クリュが認定されラベル表記できるようになったのは、2020年ヴィンテージから。その22のクリマの中にはこの「レ・クロ・レシエ」も含まれます。これまでこのテロワールでつくられるワインが高品質で個性を持ったものであるから、プルミエ・クリュに昇格したのです。そういう点ではこの昇格直前のヴィンテージは注目です。
赤ワインについてモランディエール氏は「モダンなスタイル」だと語ります。どのような意図でそう話すか詳細までは聞けませんでしたが、いたずらに濃さや力強さを求めないスタイルではないかと推測します。
2022~2024年 ルフレーヴのウェザーレポート
ルフレーヴの公式HPでは、1年ごとの天候をまとめたものを公開しています。
もしヴィンテージの選択肢があるならば、大変参考になる情報でしょう。
公式の情報を日本語に訳して要約したものをご紹介します。
2022年のヴィンテージレポート
2022年のヴィンテージは、ブルゴーニュの生産者にとって量・質ともに驚くべき結果をもたらしました。夏の猛暑に不安を抱きましたが、ブドウの木は見事に適応し、楽観的な見通しを与えてくれました。
冬は穏やかで雨が少なく、3月も非常に乾燥していましたが、涼しい気候が植生の成長を少し遅らせました。4月には例年通り軽い霜が数回発生しましたが、剪定の遅延と風力タービンの設置によって被害を回避。この際、環境への配慮から畑でのろうそく使用を廃止しました。
春は夏のような陽気で、ブドウの成長速度が記録的に早まりました。5月中旬には開花が丘陵地で終了し、平野部(ヴィラージュやブルゴーニュ・ブラン)でも6月初めには終了しました。
6月は降雨量が例年の70%にとどまりましたが、月初の雨や6月中旬の熱波(16日~21日、最高気温37℃)を経て、雷雨とまとまった雨が月末に降り、土壌の潤いが保たれました。
7月前半は晴天が続き、19日~20日には熱波が発生。その後も8月1日~4日の熱波を挟みつつ、14日以降は穏やかな天候と小雨が続き、成熟期に理想的な条件が整いました。


生産者HPより
収穫は8月25日に始まり、新たに導入された醸造施設「Rue de l’Eglise」が期待通りの効果を発揮。品質を高める長時間の圧搾が可能となり、素晴らしいブドウ果汁が得られました。
セミナーの中でモランディエール氏は、「2022年は20年に1度くらいの素晴らしい出来だった。できれば熟成させて飲みたい」と話していました。
2023年のヴィンテージレポート
2023年のヴィンテージは、量的にも質的にも優れた2022年に続く、恵まれた年となりました。冬は再び穏やかで雨が少なく、2月から3月にかけて冷涼で安定した気候が続きました。春は順調に始まり、4月には朝霜や極端な低温がなく、5月は涼しく雨が多かったことで地下水が補充されました。この状況は6月中旬まで続き、暖かい日と冷涼な夜の組み合わせがブドウの成長と開花を助けました。
7月初旬には短期間の熱波がありましたが、その後は雷雨が続きました。ただし、これらの雷雨は定期的な降雨として土壌を冷やし、ブドウ畑を潤す程度の影響でした。8月初旬には昼夜の寒暖差が大きくなり、ブドウの発育に良好な条件が整いました。8月中旬には暑さが戻り、激しい雷雨と交互に雨が降る環境が続きました。8月18日から24日には一週間の熱波が訪れ、最高気温は37℃に達しましたが、その後の降雨がブドウの成長を促しました。
収穫は8月29日に一部の区画から小規模なチームで開始され、未熟な区画には追加の熟成時間を与えました。9月2日以降、熱波が再び戻ったため収穫を加速。この年は初めて午後2時で収穫作業を切り上げる体制を採用しました。これが今後の収穫の新しい基準になる可能性が高いと考えられています。


生産者Instagramより
2024年のヴィンテージレポート
2024年のヴィンテージは、自然の変化や挑戦を受け入れるという姿勢を改めて試される年となりました。この年は特に雨が多く、1月から10月までの降雨量は例年の1.5倍に達し、過去2年の合計を上回るものでした。地中の水分が大幅に補充され、10月にはいくつかの古井戸が溢れるほどでした。
2023-2024年の冬は寒さが厳しくなく、最初は豊富な降雨が歓迎されました。しかし、春は冷涼で、3月中旬から4月中旬にかけて小規模な雹が発生。大きな被害はなかったものの、湿った気候が原因で結実不良(クルール)が発生しました。冷涼な天候は成長を遅らせ、頻繁な降雨が畑作業を妨げたことで、べと病の発生を招きました。
夏は穏やかで大きな暑さはなく、熟成は遅れ気味でした。特に9月が涼しく雨がちで、雷雨も頻繁に発生しました。収穫は9月16日にピュリニーで開始され、2023年の豊作に比べて収量は約半分にとどまりました。ただし、残ったぶどうの健全な状態により、品質への期待は保たれています。


「今は悪いヴィンテージというものがなくなった」
セミナーの中でモランディエール氏はそう語ります。
30年前と違い、たとえ「冷涼なヴィンテージ」と言われてもブドウは十分な糖度に達します。酸っぱくてシャバシャバなワインしかつくれない年は無くなりました。あるのはヴィンテージごとの特徴とその表現だけ。


生産者HPより
2020年や2022年のように、病気が少なくさほど苦労せずとも素晴らしいワインができる年もあります。
一方で2024年のように苦労の絶えない年もあります。ブドウの病気に対処するため、いつもより早く起きて遅くまで畑仕事をしないといけない。それでも収穫量は減ってしまう。だからこそ栄養が集中したブドウとなり、ヴィニュロンの献身が詰まったワインになるのだと。
20年、30年たって開けたときに生産者のアイデンティティを発見できる。そんなワインを目指して、ルフレーヴはブルゴーニュの白ワインをリードし続けます。
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