「ブショネbouchonne」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
2,4,6トリクロロアニソール(TCA)という物質が原因となり、ワインの風味が著しく損なわれるワインの欠陥です。
その香りは「濡れた段ボール」や「腐った雑巾」と形容されるようにひどいものです。
天然コルクを用いたワインには確率の問題で必ず発生する、ワインの事故のようなもの。
ブショネはどうして起きるのでしょうか。
不味いワインを避ける方法はないのでしょうか。
コルクはどのように作られる?
コルクは18世紀に入ったあたりから、ワイン瓶の栓として使われるようになってきたようです。
コルクの最大産地はポルトガル。
全世界で年間30万トン生産されるうち、およそ半分がポルトガルで生産されます。
次いでスペイン。3割ほど。
イベリア半島で全世界で使用される8割が供給されていることになります。
(フィラディス様ニュースレターを参考にしております)
コルクはコルク樫の樹の樹皮から作られます。
通常の木は、樹皮をはぐと枯れてしまいます。樹皮と一緒に形成層と呼ばれる樹の成長を担う部分が傷つけられてしまうからです。
それに対しコルク樫は非常に分厚い樹皮をもつため、一度樹皮をはいでもまた成長を続け、10年ほどでまた収穫できるようになるのです。
コルクがワインの栓として有用なのは、何億という細胞が「スベリン化」しているからです。
スベリンというのは植物が生成する蝋のような物質で、それが細胞間の隙間を埋めている状態がスベリン化です。
細胞内は気体で満たされているため、コルクは弾力性を持ちます。
更に、1方向に圧力をかけても他方向に膨らまないというのが、非常に栓に適している特徴。
風船のように押さえたら横に広がるのではなく、ばねのようにそのまま縮むのです。
このような性質があるからこそ、栓として気体や液体をほぼ通さない状態を何十年にわたってキープしながら、コルクスクリューで簡単に抜栓できるのです。
コルク樫を植樹してから、コルクの作れるほど密度の高い樹皮が得られるまで、およそ50年。
それから150年間ほど樹皮を採取することができ、その後植え替えられるそうです。
剥がされた皮はそのままでは扱いにくいので、煮沸・蒸されて平らにされ、コルクの形にくりぬいて乾燥させます。
その後漂白され、刻印されたあとワックスでコーティングされ出荷されます。
TCAはどこで発生する?
このコルクの漂白に用いる塩素を、微生物が代謝してTCAを生み出す。
以前はそう考えられてきました。
実際それは間違いではありませんが、全てとは言えません。
漂白に塩素を用いるのをやめて、過酸化水素にしたとて、TCAは完全にはなくならなかったのです。
そこで30年ほど前、オーストラリアの研究チームは、ポルトガルに赴き生えているコルク樫を調べたそうです。
すると調査したコルク樫のおよそ半分から、TCAが検出されました。
(ジェイミー・グッド 『新しいワインの科学』を参考)
樹皮に存在する「皮目」と呼ばれる小さな孔。
コルクで黒っぽい線や傷のように見えるのが皮目で、細胞分裂が最も盛んな他より柔らかい箇所です。
ここは空気の出入りが可能で、真菌の増殖が促されてTCAの発生につながっているのではないかと結論を出しました。
原料となるコルク樫の樹皮に既にTCAが含まれていることがあるのですから、現在の技術では天然コルクから100%ブショネを無くすことは不可能だそうです。
コルクを出荷する前には、様々な検品作業が行われています。
光選別機にて外見的な異常のあるものを外す。
X線などを用いて内部に大きな空洞がないかをチェックする。
もちろん目視による確認も。
それでもブショネを完全に無くすには至っておりません。
厳しい検品を経た高級品のコルクは、やはりブショネは少ないそうです。
特にナパ・ヴァレーのブティックワイナリーはコルクにも最高のものを求めます。
高額品が並ぶカリフォルニアワインのインポーター試飲会では、あまりブショネは見つからないそうです。
ナパ・ヴァレーで有名な「オーパス・ワン」のコルクは、マグナムボトル以上は全量別途の検査を行っているため、ブショネはほぼ0であると聞いたこともあります。
通常サイズに行わないということは、それだけコストが見合わないのでしょう。
ブショネの原因はTCAだけでないかもしれない TBAとは?
ワインにコルク臭がつく原因は、TCAだけではありません。
TCAに似た物質由来でワインに不快な臭いが発生することもあります。
代表的なのが、2004年に特定された2,4,6トリブロモアニソール(TBA)。
これはトリブロモフェノール(TBP)という物質から変化するのだが、TBPが建物内で殺虫剤として使われることがあるのが問題です。
木材の保存剤や殺菌剤としても使われ、古いデータですが日本でも年間2500tが作られているそうです。
(Wikipediaによる)
このTBPが使われたことによって、樽やコルク、タンクなどもTBAに汚染され、結果ワインにコルク臭がつくことがあります。
実際、私は過去2,3回、スクリューキャップのワインから、ブショネに似た香りを感じたことがあります。
コルク由来のブショネならその1本だけですむ話なのですが、スクリューキャップのブショネはそのロット自体が汚染されている可能性があり、大問題です。
TCAが混入するとワインはどうなる?
TCAは非常に閾値(いきち)が低い物質です。
閾値というのは簡単に言うと、「この濃度以上であれば多くの人が感じる」という値のこと。
TCAの場合はわずか5pptと言われています。
これはおよそ小学校のプール3つ分(長さ25m×幅10m×深さ1.3mとして)の水の中に5mg(小さじ1杯の1000分の1)TCAを垂らしたら、皆が「臭い」ということになります。
だからでしょうか。
「ブショネのワインを飲んだら体に害がある」という記述は見たことがありません。
なので「ブショネなんて今まで知らなくて、飲んじゃってたかもしれない」と不安になる必要はありません。
つまり他の香りを感じにくくなること。
TCAが混入すると、単に悪臭が混じるだけでなく、他のワインの芳香成分を感じにくくしてしまうということです。
だから「TCAは果実味を減退させる」というように言われているのです。
ブショネのワインに当たってしまったらどうしたらいい?
ワインがブショネであった場合は、通常は輸入元責任で交換してもらうことができます。
これはもちろん、間違いなくブショネであった場合に限ります。
ブショネの香りを確実に特定できるようになるには、訓練か経験が要ります。
ワインの中には「あれ?ブショネ?」と勘違いするような香りも時にあるからです。
(私も以前、間違えた経験があります)
どうして間違いだとわかるかというと、TCAの香りは時間がたっても消えないからです。
主に還元由来の香りは酸素接触で消えることがあります。
抜栓したワインがもし「卵の腐ったような臭い」がしたなら、1日2日放置して様子を見るのも手です。
(これについて話すと大幅に脱線するので割愛します)
ブショネのワインはコルクの臭いが違います。なのでソムリエは抜栓すると必ずコルクの香りをチェックします。
何千本とちゃんと香りをチェックしていれば、自然とブショネはわかるようになります。
しかし敏感な人は経験がなくてもわかるようです。
以前働いていたワインバルはまずまずの繁忙店でワインもよく出ました。
月に何百本と開けるので、当然数本のブショネは出ます。
アルバイトの子たちに、正常なコルクと嗅ぎ比べをさせるのですが、「全然違う」という子と「わかんない」という子の割合はおよそ半々でした。
なのでこの記事を読んで「あ~この香りがブショネか」とはならないと思ってください。
自宅でワインを抜栓し「これブショネじゃないかな?」いう疑いがあったら、後日でも構わないのでワインに詳しい人に相談してみましょう。
近所のお店で買ったなら、そのままお店に持っていくのがいいでしょう。レシートを無くしてしまっていても構いません。
行きつけのワインバーやレストランのソムリエでもいいかもしれません。
確かにブショネであったなら、交換してもらえます。
代品がないなら返金という形になるでしょう。
販売されている外国産ワインには、必ず輸入責任者の記載があります。もし近くに店舗がないなら、直接電話してみるといいでしょう。
その際の注意点。
コルクを必ず残しておいてください。
また、グラス1杯分くらいならともかく、大幅にワインが減った状態では交換してもらえません。
ほとんど飲んでおいて「味がおかしかったから交換して」なんて筋が通るはずがないですよね。
ただ現実には無茶なクレームも多いのでしょう。
「このワイン、ブショネじゃないかな?」と疑いがあり、現物を送ってもらって確認する。
そこでブショネじゃなかった場合、どう対応するか。
もしそのままワインを送り返したとしても、抜栓から日にちが経って飲めるものではなくなってしまっています。
だから止む無く代品を送るということもあるでしょう。
その往復にかかる送料もバカになりません。
またブショネの対応に関する正しい知識を持たない人の中には、ワインもコルクも処分してしまったうえで「ブショネだったから交換してくれ」なんて言ってくる詐欺まがいの人もいるそうです。
おそらくそのあたりが、ブショネという言葉がそれほど一般的にならない理由でしょう。
一般人が生半可な知識を持ってしまうと、健全なビジネスを阻害してしまいかねない。
ブショネに関する知識を隠しはしないまでも、あえて広めてはいないように感じます。
また、古いヴィンテージのワインは、基本的にはブショネの場合も交換してもらえません。
購入したお店に輸入元にも、代品がない場合がほとんどなのです。
さらにそういったものは「定価」というものがないので、返金するにもその金額が決められないのです。
(当店は多くのヴィンテージワインを輸入元のフィラディス様から仕入れています。フィラディス様はヴィンテージワインに関しても全てブショネ対応をされてますので、安心してご提供できております。)
そういうものに関しては、「運が悪かった」と思うほかありません。
冒頭で述べた通り、ブショネはワインの事故です。
気を付けて防げるものではなく、誰にも責任はないのです。
ワインとはそういうもの。
そもそも大なり小なりボトル差があるのだから、「確実に美味しい」なんてものはない。
もしどうしても「不味いワイン」に当たるのが絶対に嫌なら、大手企業が大量生産するスクリューキャップの若いワインを飲めばいいのです。
ワインはそもそもからして不確実なもの。
どれだけ人事を尽くしても、天候ひとつで台無しになることがあるのがワインです。
期待と違って美味しくないことがあるからこそ、想像を超える素晴らしいワインとの出会いがあるのです。
ワインは心の余裕をもって楽しみたいものです。