アンリジャイエ氏は1988年に引退し、甥のエマニュエル・ルジェに仕事を譲ったものの体調を崩すまでエマニュエルにワイン作りを教えながら畑に立っていました。また、後続の指導に熱心で、カミュゼ家のジャン・ニコラ・メオ氏を始め、彼の影響を受けた生産者は数多く、そのほとんどがブルゴーニュのそれぞれの村の次代の担い手となっています。
表向きは引退したものの、その後も少量ながらワインを生産しており、最後の最後までワイン生産者でした。極少量出回っているワインは常に高値で取引されており、特に引退前の全盛期であった、70年代後半~80年代のリシュブールやクロ・パラントゥはロマネ・コンティを上回る価格が付きます。
アンリ・ジャイエ氏は84歳でがんのためこの世を去りましたが、氏が残したものは余りにも多く、現在のブルゴーニュワインの基礎を築いた人物でありながら、常に先祖への敬意を失わなわず、最後まで畑に立ち続けた生粋のブルゴーニュワインの生産者でした。
ブルゴーニュの神様と言われるアンリ・ジャイエ氏の後継者であるエマニュエル・ルジェの ヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュ クロ・パラントゥーです。
Vosne Romanee Cros Parantoux Emmanuel Rouget